ハッピーバースデイ3.11

これからを生きる君たちに、なにを贈れるだろう。〜みなさまからのメッセージ〜

2013.02.12

初めまして
私は、この3月11日で50歳になる大阪在住のものです。
東日本大震災があってから、自分の誕生日が震災の日となってしまいました。
自分の誕生日が近付いてくると、あの恐ろしい光景を思い出してしまいます。
まだ行方不明の方々がたくさんいてこの寒い海の中を捜索されている方々がいらっしゃる。
もうすぐ二年が経とうとしているのに・・・
自分の誕生日でありながらとても心苦しい気持ちになっていました。
でも、ふと思ったのは、私と同じように被災地で震災に合われた方々の中にもきっと誕生日の方がいらっしゃると。
そして、検索していたらこの【ハッピーバースデイ 3.11】のサイトに出逢うことができました。
あの地震と津波の中で産まれてきた命があったことを知り嬉しく思いました。
無邪気に笑っている赤ちゃんの笑顔って最高ですね! 是非、赤ちゃんたちと一緒に3月11日が誕生日の方もお祝いしてあげてほしいです。
目の前にいる子どもたちの笑顔を守るために、私たち大人も笑顔で頑張りましょう。



2012.12.28

私の娘は2011年3月11日に生まれました。
東京にいたものの地震が起きたときには陣痛室にいました。
病院にいたので外の状況もわからず、緊急帝王切開で17:26に出産。
多くの人たちが亡くなったときに娘を抱き本当に命の重さを実感しました。
この日を忘れないためにも、3.11に生まれた赤ちゃんたちが集まれる機会があったらいいなと思いますが、なかなかどうしたらいいのかわかりません。
何か良い方法があったら教えてください。



2012.05.11

NHKの朝の情報番組で、ハッピーバースデイ3.11の映像を拝見いたしました。
朝の支度をするあわただしい時間がふと止まったような感覚を覚えました。
あの信じがたい震災がもたらした辛く冷たく悲しい記憶と、時を同じくして生まれてくれた希望の命のあたたかな光という相対する2つの感覚を同時に感じました。そして、その二分する感覚は、次第に、それでも生きていこうという希望の感覚へと変えられていきました。
一人ひとりの赤ちゃんの愛らしい姿、そしてその誕生を必死に支え守り抜き喜びに包まれた大人たちのストーリー。小さなちいさな子どもの命とはどんな悲しみの中でも、なんとか前向きに生きていこうとする希望を与えてくれる力をもっているということを改めて教えられました。
私もあの震災の3年前に突然夫を病気で失うという経験を持っています。絶望の中でただただ自分も天国に行けば夫に会えるという思いでいっぱいになり、生きていく気力を失いました。そんな私を生きるようにさせてくれたのは、まだ3歳のお誕生日を迎えてしばらくの娘の無邪気にただひたすらに生きる姿でした。そんな自分自身の経験とも重なり、この映像を拝見しながら、涙が止まりませんでした。
「これからを生きる君たちに何を贈れるだろう。」
このメッセージがまた心に響きました。



2012.05.10

NHKの朝の情報番組で"ハッピーバースデイ 3.11"を見ました。
短い映像でしたが、涙があふれて止まりませんでした。
2011年3月11日、東北から遠く離れた九州。
テレビの映像で大きな地震と津波を知りました。
信じられない映像が次から次へと流れる中、
私は思わず、自分のオナカに手を添えていました。
その時、私のオナカの中には、小さな命が宿っていたからです。
衝撃的なテレビの映像を見ながら、妊婦さんや小さな子どもたちのことを 思わずにはいられませんでした。
あれから1年経った今、少しずつ復興がされてはきたものの、
東北ではたくさんの方々が不自由な生活をされています。
「私にできること」と考えると、些細なことしか浮かんできませんが…
自分の仕事を活かして、できるだけ多くの子どもたちに、
2011年3月11日にたくさんの命が失われたこと、
地震や津波の恐ろしさ、そしてそれから生き延びる術を教えることでしょうか。
「人は支え合いながら生き、人に生かされていること」を伝えていくことでしょうか。
いまは、こんな些細なことしか浮かんできませんが、
できることから取り組んでいけたらと思います。



2012.05.10

赤ちゃんたちがきっと元気に大きくなって幸せになってくれますように。



2012.05.09

写真展を見せていただきました。
見ていて自然と涙が溢れてきました。 胸が締め付けられました。
そこに写っていた、無垢な子どもたちの姿を見て、"彼らには過去はない"というコメントを読んで、"あぁ、その通りだな"と思いました。
あんな怖い瞬間にも彼らはこの世に生を受け、お母さん、お父さん、病院の先生、看護師さん、産婆さん、などいろんな人たちが彼らの生を無駄にすることなく必死で守った瞬間。
でも一番は、お母さんがとっても怖かったと思います。私が想像する以上に表現できないくらいの恐怖があったと思います。無事で生まれるか、生まれてくることができるか、この子を守ってやれることができるか...........
苦しさの中、いろんな感情でいっぱいだったと思います。私がここでただ文字を羅列するのも申し訳ないくらいです。

写真の合間に書いてあった言葉で私が感じたことは、この世で一番小さい人間が一生懸命生きようとこの世に生まれてきたことがどんなに素晴らしいことか、どんな状況下でも生きようとしている命の、生命力の強さを改めて感じました。
だから一年後の 3/11 、生まれてきたこの瞬間があったからこそ 3/11 もまたやってきたんだなぁと思いました。
とってもいい写真です。 どの子どももいい表情をしています。
私は、大阪に住んでいます。この震災の映像を初めて観た時は、同じ日本とは思えませんでした。
地震だけでも怖いことなのに、海が近いことで津波が襲ってくるなんて.......
津波の威力も実際にはどんなに恐ろしいことなのか、はっきりとはわかりませんでした。
いつも穏やかに、そこに住んでいらっしゃる方々の日常をゆったりと、どっしりと構えて包み込んでくれていた海が、荒れるとこんなに豹変するものなんだと、テレビのニュースの映像を見て知り、改めて自然の恐ろしさを感じました。
自然の前では、私たち人間はとっても小さな生き物であり、何にもできなくただ呆然と事の成り行きを見守ることしかできない無力なものなんだと思いました。 自然は、偉大です。

生まれてきた子どもたちに、私たち大人ができること・・・・・
人間として彼らが自由に、伸び伸びと、恐怖に怯えることなく、健康で自分の家族と幸せに暮らせる事が当たり前だと感じられること。
それに付随してこれからはいろんないいこと、悪いことなどが身の回りに起こるだろうけれども、自分を守ってくれる大人と一緒にいることでいいことは倍増し、悪いことは最小限に食い止められるし、怖いことは安心感を伴って克服することができると思います。
日本も昔の日本とはだいぶ様変わりしているので、昔だったら遠い外国で起こっていたような出来事がすぐ身近で起こるようになってきています。
こんなことから子どもたちを守れる大人でありたい、こんなことから子どもたちを守れる世の中を作っていく小さな協力者になりたいと思います。
これからの子どもたちの未来が平和でありますように .........



2012.03.10

素敵なサイトをありがとうございます。がんばれ!とか言われるよりも元気になれました。



「震災後、子どもたちの未来のために、私たち大人にできること」をテーマに、みなさまからのメッセージを募集しています。
ぜひ、以下の日本ユニセフ協会のメールアドレスにお送りください。
このページにて、その一部を、順次ご紹介させていただきます。

メッセージは、こちらまで。
happybirthday311@unicef.or.jp